坂町及びその周辺地域の年表(町制施行まで)
50000~15000年前 | 西ガガラ遺跡(東広島市) |
東深原遺跡(熊野町) | |
15000~12000年前 | 矢野小学校校庭遺跡(広島市安芸区) |
3000~2500年前 | 梶木遺跡(広島市安芸区) |
絵下谷遺跡(広島市安芸区) | |
2世紀後半~3世紀前半 | 梨ヶ谷遺跡(広島市安佐北区) |
西山遺跡(広島市東区) | |
3世紀中ごろ~4世紀 | 中小田古墳(広島市安佐北区) |
神宮山第1号古墳(広島市安佐南区) | |
5世紀後半 | 西尾古墳(広島市安芸区)が造られる |
6世紀中ごろ | 植田古墳(坂町)が造られる(昭和35年ころ、植田古墳・須恵器発見) |
岩屋古墳(呉市倉橋町) | |
8世紀初頭 | 安芸郡海里倉橋より、藤原宮へ調塩が運上される |
天永年中(1110年~1113年) | 鳥羽上皇が皇室領荘園として安摩荘を立荘。坂もこの荘域に含まれる |
承久3年(1221年) | 承久の乱ののち、広島湾頭にも、阿曽沼親綱、香川経景ら複数の西遷地頭が進出する |
文応元年(1260年) | 八幡神社が坂村に勧請されたといわれる。この時、甲斐国から縫部権守が来て神主になったと伝えられる。 |
建武2年(1335年)12月 | 安芸守護武田信武、足利尊氏方として蜂起し、上洛を企てる。熊谷蓮覚、これより先、後醍醐天皇方の旗を掲げ矢野城に立て籠もる |
12月23日~26日 | 安芸守護方の攻撃を受け、矢野城落城する |
応永21年(1414年) | 霊厳が真言宗として塔の岡に塔半寺を建立したといわれる |
文安2年(1445年) | 野間重能、足利義政より安芸国矢野を拝領し、尾張国から移住したと伝えられる |
文明2年(1470年) | 野間興勝、尾張国縁戚小池氏より婿養子に入り、野間家の当主となる |
天文24年(1555年)3月 | 野間隆実、府中の白井氏と連携し、反毛利の立場を鮮明にする |
4月 | 毛利氏の矢野城総攻撃で、明神山口が陥落し、本城も開城する |
寛永15年(1638年) | 坂村で検地が行われる(この時、53町1反8畝15歩772石3斗) |
慶安3年(1650年) | 森山が御建山に指定される(寛政12年まで) |
延宝4年(1679年) | 細越古新開が開かれ、検地が行われる。このころより新田開発が進む |
元禄8年(1695年) | 堤新開が開かれ、検地が行われる |
宝永7年(1710年)1月 | 矢野と坂で山林境界について争論が起きる |
3月 | 絵図などが作成され、境界を確定する |
享保7年(1722年) | 坂村で鰯網が行われ、運上銀を納付する |
享保14年(1729年) | 浜新開が開発され、検地が行われる |
延享2年(1745年) | 広島藩、横浜浦の鰯網操業を許可する |
寛延2年(1749年)7月 | 祭礼時、横浜曳船の寄進が行われる |
宝暦10年(1760年) | 細越宮下新開が開発され、検地が行われる |
明和8年(1771年) | 坂村、社倉を始める |
寛政2年(1790年) | 坂村庄屋茂三郎、庄屋上席に昇格する |
寛政10年(1798年) | 坂村、大屋村、焼山村と境界争論が起こる |
寛政12年(1800年) | 森山が御建山ではなくなり、水落山が御建山となる |
文化8年(1811年)3月 | 小屋新開が開発される。天保13年(1842年)に検地が行われる |
3月 | 丸子新開が開発される。天保13年(1842年)に検地が行われる |
文化9年(1812年) | 庄屋茂三郎が村民を督勵して宮下新開を拓く |
4月 | 岡下新開が開発される(文政8年(1825年)に見取、天保13年(1842年)に検地) |
文化11年(1814年) | 坂村庄屋茂三郎退役する |
西林寺、本堂を再建する | |
(このころ)坂村に保存された社倉麦は138石7斗6升3合 | |
12月 | 国郡志編集のため下調べが行われる |
天保2年(1831年) | 宮崎・横洲新開が開発される(開発許可は文政11年(1828年)) |
安政5年(1858年)8月 | コレラが流行し、安芸郡だけで死者757人となる |
文久元年(1861年) | 御建山、水落山から亀石山になる |
文久2年(1862年)5月 | 浅野少将(元藩主浅野斉粛)が横浜浦での漁業を回覧する |
元治元年(1864年)11月 | 長州戦争に際し、兒玉道信、安芸郡内の道案内を務める |
慶応4年(1868年)2月 | 農兵を組織する触れに応じ、坂村でも援撃隊を組織する(6月解散) |
(このころ)山新開、築地新開、二艘木開地、森山開地など開発が進められる | |
明治2年(1869年)9月 | 広島藩、近隣の村役人を矢野村に集め、版籍奉還の趣旨を告げる |
宮崎新開と横洲新開で検地が行われる | |
明治4年(1871年)4月 | 戸籍区のもと、坂村は第16区に編成される |
8月 | 武一騒動に伴い、坂村民も多くが広島城下に駆けつける |
10月 | 西林寺で、武一騒動についての教諭が行われる |
明治5年(1872年)4月 | 大区小区制のもと、坂村、第3大区第6小区に編成される |
11月 | 西林寺本堂を教場にあて、西基館と称して、河野恵昭等が教育に当たる。読書、習字を教える |
明治6年(1873年)8月 | このとき、坂村の戸長は、兒玉治道が大屋村、吉浦とともに務める。兒玉道信は矢野村、海田村、船越村の戸長を担当する |
9月 | 西基館、植花基家の居宅を借用して教場とする(西林寺から移転、6月23日に許可) |
11月 | 横浜地区で明倫舎を設置する。学制に応じて、佐々木良右衛門の家を借り、後者とする(横浜小学校の前身) |
冬 | 小屋浦で簡成舎が設立される。幼児童を対象に読み、書き、そろばんを始める |
明治7年(1874年)3月 | このとき、兒玉道信は6小区と7小区の戸長に任じられ、親の治道は副戸長に任じられる |
明治9年(1876年)7月 | 明倫舎、東幸七の居宅に移転したとき、明倫舎から横浜学校に解消される |
7月 | 簡成舎を小屋学校と改称する |
明治10年(1877年)3月 | 西基館、宇都宮治兵衛の建物を買収し、移転される |
7月 | 中東丈右衛門、坪川甚三郎、吉原元五郎、中東丈吉4人は釜山へ渡航する(10月に一時帰国) |
明治11年(1878年)3月 | 中東丈右衛門は3人を乗り込ませ、釣り船目的で再度釜山へ渡航する。通訳を雇い、慶尚道、全羅道、忠清道の3道から京畿道仁川まで行く。鱶や鯛の釣り漁が行われる |
7月 | 郡区町村編制法を受けて、府県地方単位を郡区町村と定め、郡には郡長、町村には戸長を配置する |
7月 | 横浜学校、兒玉治道の発起により、旧説教所のところに校舎を新設する |
明治12年(1879年)7月 | 村会議員選挙が行われ村会議員が選出される。村会が開催される |
明治13年(1880年) | 八幡山に八幡宮の拝殿が再建される(現存のもの) |
明治14年(1881年)4月 | 西基館を改称して坂小学校となる |
明治15年(1882年)11月 | 県令により坂小学校は安芸郡第29学区坂小学校となる |
明治16年(1883年) | 山田政吉、網漁を始める。慶尚道、全羅道の両道と、その付近諸島沿海で鰔網漁を試用し、成功する |
明治17年(1884年) | 坪川甚三郎、慶尚道、全羅道、忠清道の3道において鰯網漁を実施する |
明治18年(1885年) | 浜岡周介、慶尚道、全羅道、江原道の3道において鰯網漁を実施する |
明治19年(1886年)4月 | 小屋学校を廃止する |
明治20年(1887年)4月 | 坂小学校を坂簡易科小学校と改称する |
4月 | 小学校令を受け、横浜学校を廃止し、坂簡易科小学校横浜分教室とする。現在の横浜説教所の位置に設置する(3月31日横浜学校廃校) |
明治21年(1888年)5月 | 対馬沖での烏賊釣り漁業者を対象に烏賊釣組合を設立する |
6月 | 坂簡易小学校小屋分教室となる |
明治22年(1889年)5月 | 坂村で村会議員選挙が行われる。18人を選出する。なお、兒玉道信が村長に、菅田茂四郎が助役に選出される |
8月 | 坂村同盟組合が創立される |
明治23年(1890年)4月 | 坂簡易科小学校横浜分教室、坂尋常小学校分教室となる |
(このころ)坂村では395人、漁船86艘が出漁している(広島県下としての出漁舎数は1237人、漁船295艘) | |
手繰網、ナマコ漁などの漁業が始まる | |
明治24年(1891年)8月 | 長崎地方捕鯨会社に雇われ、広島県では200人程度の漁民が出漁する |
10月 | 坂簡易小学校小屋分教室を坂簡易小学校とする |
10月 | 坂簡易小学校は坂尋常小学校に改称される(修業年限を3年とする) |
明治25年(1892年)4月 | 折田利平、底引網を行うために渡航する |
6月 | 鉄道敷設法に、「海田市より呉に至る鉄道」が盛り込まれる |
明治27年(1894年) | 坂尋常小学校、補習科を設置する(明治34年まで) |
8月 | 日清戦争起こる(戦死者1人、従軍者58人) |
明治28年(1895年) | 三登鶴松、慶尚南道龍南郡東海面九鶴浦を根拠地とし、権現網を利用した鰯網漁業が展開される。この年、朝鮮近海漁業坂村同業組合が組織される |
明治29年(1896年)9月 | この時期、製鉄所建設の話が持ち上がる |
10月 | 菅田茂四郎が村長に就任する |
明治33年(1900年) | 北清事変起こる(戦死者3人、従軍者32人) |
明治34年(1901年)4月 | 消防組が発足される |
6月 | 坂尋常小学校小屋分教室となる |
7月 | 横浜尋常小学校と改称する。校舎新築、竣工する |
広島県朝鮮海通漁組合が設立する | |
明治35年(1902年)11月 | 広島県知事、横浜漁業組合を認可する |
明治36年(1903年)12月 | 呉線開業式が挙行される(坂駅も開業) |
新たな漁場を求め、児島虎助、山根初太郎などがフィリピンに渡航する | |
明治37年(1904年)1月 | 横浜尋常小学校、青年夜学会が開催される。毎年1月~3月までとし、国語、算術の2科目を行う |
2月 | 日露戦争起こる(戦死者5人、従軍者185人) |
3月 | 坂小学校、尋常科と高等科の併置が認可される |
4月 | 奥久登、坂尋常高等小学校の校長に就任する |
5月 | 坂尋常高等小学校に農業科を設置する |
12月 | 坂郵便局が創設される |
暴風雨のため、坪川甚三郎ほか25人が死亡する | |
明治38年(1905年) | 対馬沖で暴風雨に遭遇し、58人が溺死する |
明治39年(1906年)5月 | 坂尋常高等小学校、尋常科を8学級、高等化を3学級に編制される |
5月 | 坂尋常高等小学校、坂水産補習学校設置が認可される |
(このころ)坂村の戸数は1471戸、人口は7698人 | |
横浜遠洋漁業探検組合を組織する | |
明治40年(1907年)4月 | 坂尋常高等小学校、校訓や校歌を制定する |
7月 | 大水害があり、坂尋常高等小学校、豪雨のため倒壊する。死者は46人 |
明治41年(1908年)4月 | 横浜運送船同業組合を創立する |
明治43年(1910年)2月 | 横浜漁業組合が広島県水産会の第1回模範漁村に選出される |
5月 | 広島県庁において、御真影の下付式が行われる。菅田村長、奥校長、宇都宮学務委員が出席する |
大正2年(1913年)4月 | 校舎建築に伴い、5月に小屋浦尋常小学校となる |
大正3年(1914年)5月 | 小屋浦駅が開設される |
大正3年(1914年)8月~大正4年(1915年) | 日独戦起こる(第一次世界大戦)(従軍者24人) |
大正3年(1914年)~大正9年(1920年) | シベリア出兵(従軍者89人) |
大正4年(1915年)6月 | 坂村納税組合が組織される |
大正5年(1916年) | (このころ)漁船は41艘、1600人が坂村から韓海に出漁している |
大正10年(1921年)4月 | 横浜地区で戸主会が設立される |
大正12年(1923年)2月 | 横浜信用購買組合が発足する |
2月 | 坂信用購買販売組合が発足する |
7月 | 豪雨により堤防が決壊する。死者10人、傷者7人、流失家屋21戸、倒壊家屋9戸、半壊家屋26戸、浸水家屋24戸、流失田畑50町歩 |
大正13年(1924年)9月 | 縫部禄郎、坂村長に就任する |
大正14年(1925年)7月 | 広島電気株式会社、安芸郡坂村丸子に火力発電所の建設工事に着手する(1期工事) |
坂消防組、横浜消防組を申請し許可を得る | |
昭和2年(1927年)4月 | 横浜尋常小学校、高等科の併設が認められ、横浜尋常高等小学校となる |
12月 | 広島電気、坂発電所運転を開始する |
昭和3年(1928年)9月 | 中迫覺登、坂村長に就任する |
昭和8年(1933年)1月 | 横浜戸主会、財団法人横浜戸主会として認可される |
昭和11年(1936年)1月 | 販売事業、購買事業、資金貸付事業を担う保証責任横浜漁業協同組合が組織される |
6月 | 児島泰彦、ベルリンオリンピックに出場する |
6月 | 坂消防組、横浜消防組、金馬簾の使用許可を得る |
昭和13年(1938年)10月 | 国道31号完成する(全通は昭和22年) |
昭和14年(1939年)4月 | 日本発送電株式会社坂発電所となる |
昭和16年(1941年)4月 | 坂国民学校、横浜国民学校、小屋国民学校になる |
7月 | 坂発電所、移設工事完了する |
昭和17(1942年)年 | 小屋浦地区に住宅営団が完成する |
昭和19年(1944年)4月 | 横浜漁業協同組合が解散し、坂漁業会を発足する |
9月 | 細越温造、坂村長に就任する |
昭和20年(1945年)9月 | 大水害があり、小屋浦天地川が決潰、死傷者を出す(死者5人、流出家屋7戸他) |
昭和22年(1947年)4月 | 坂中学校開校 |
4月 | 坂国民学校を坂小学校、横浜国民学校を横浜小学校、小屋国民学校を小屋浦小学校と改称 |
10月 | 坂村消防団設置条例施行 |
12月 | 坂村消防団発足 |
昭和23年(1948年)1月 | 坂中学校校章制定 |
4月 | 坂中学校が鯛尾仮校舎に移転 |
昭和24年(1949年)1月 | 坂村体育協会発足 |
9月 | 西林寺に坂森谷保育所設置 |
12月 | 横浜小学校校歌制定 |
(この年に)坂村漁業協同組合設立 | |
昭和25年(1950年)1月 | 坂森谷保育所を坂村公立施設とする |
町制施行以降の沿革については、こちらをご覧ください。