まちと毛利元就

更新日:令和4年8月4日

高尾山城跡(天神堂)

高尾山城跡(たかおやましろあと)は、南北朝時代の初期、足利尊氏(あしかがたかうじ)方に味方した安芸の守護職武田信武(たけだのぶたけ)に抗(こう)して、矢野城に立てこもった後醍醐天皇(ごだいごてんのう)方の熊谷直行四郎入道蓮覚(くまがいなおゆきしろうにゅうどうれんがく)がこの山を支城として用いましたが落城しました。

その後、室町時代に野間(のま)氏がこの地方の戦国武将としてここを拠点地にし、天文24年野間隆則(のまたかのり)の時、毛利元就(もうりもとなり)の大軍に攻められ落城しました。

この山は、典型的な山城で、標高232ⅿの頂上からは、北は海田方面、南は山越しに瀬戸内海の島々が見渡せるほど展望に優れたところです。遊歩道も整備されており、ウオーキングには格好の場所となっています。

 

平成4年7月20日 坂町指定文化財(史跡)に登録

 

 

六字岩

天正4年(1576)の合戦の時、毛利氏が本願寺より親鸞上人直筆の六字の名号を賜わりました。帰路しけにあい、この名号を海に投じて助かり、ここまで帰ったところこの暗礁に梶を引っ掛け、その時梶に掛かっていたのが六字の名号でした。その後、この岩は六字岩と言い伝えられています。
5メートル角位の暗礁で、年2回ほどしか岩頭が現われません。

 

六字岩