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まちに日帰り

SAKA/HIROSHIMA 戦後80年 横浜の高台にある供養塔

令和7年、戦後80年を迎えます。広島に原爆が投下されてから80年が経つ今、坂町に建つ供養塔の存在をご存知でしょうか。

 

場所は、坂町横浜西一丁目。海の見える高台に供養塔が立っています。JR坂駅からは休憩しながら徒歩で約30分の場所です。高台からは海が一望でき、夏を感じられる場所となっています。

 

この供養塔は、坂町の北野 勝三郎さんが個人で建てたものです。

昭和20年(1945年)8月6日、広島の街は米軍爆撃機により新型爆弾が投下されました。被爆者は火を逃れ、宇品に向かい逃げ、漁船に乗せられ似島へ運ばれた人、金輪島に運ばれた人、そして坂の鯛尾の兵舎に運ばれた人がいました。その中で息絶えた死者を火葬することなく兵舎の裏山に穴を掘り埋葬された人もいたとされています。それが知られることなく7年の月日が経ち、その場所が陥没したことをきっかけに埋葬が知られ発掘されました。掘り出された骨は横浜地区で火葬され、身元の判明した遺骨は身元に返されたものの、不明のものについては平和公園の慰霊塔に納められました。

この火葬に携わっていた北野さんは、埋葬されていた被爆犠牲者を悼み、残骨を自分の畑に仮に納め、その1年後に供養塔を建て慰霊されたといわれています。

 

私は、坂町の大学に通学するようになり数年が経ちますが、今回はじめて実際に供養塔に訪れました。原爆の被害の大きさを改めて感じ、家族にも会えず人知れず亡くなった方が大勢いるということへの虚しさや悔しさを強く感じました。また、周囲の友人も坂町にこのような供養塔があることを全く知らない人が多いと思います。私はもっと多くの人に知ってもらい、供養塔に訪れていただきたいと強く感じています。

 

被爆から80年、供養塔が建てられてから72年。現在、この供養塔が建つ場所は、災害時の指定緊急避難場所にもなっています。今一度、平和の大切さを見つめ直すために、そして防災の意味でも、ぜひ一度、この場所に足を運び、静かに手を合わせてみてください。

 

 

【記事・写真】広島文化学園大学大学院 1年
大越つむぎ

(参考)坂郷土史会編「ふるさとの碑」

 

 

 

 

 

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